1963年から現在まで通算35年間L.A在住。日米比較、日系の歴史、生活の変化を書き綴っていきたい。私が遭遇した事件、話題、多くの有名人、ユニークな人たちを紹介したい。私の体験談、提言、情報が多くの皆さんのお役にたてば嬉しいです。
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2013年04月09日 (火) | 編集 |

昨日は強風で屋根が飛ぶのではないかと心配した。屋根が2枚だけ剥がれたが、屋根の修理は結構大変なので、被害が少なくて良かった。


今年の日本は桜の開花が早く、もう東京では散っていると言う。今の時期に、東北、北海道の桜が満開らしい。我が家の桜は2月中旬に開花し、3月にはもう散ってしまった。今年は2月下旬が満開だった。まだ樹齢6年ぐらいの沖縄の寒緋桜の木でソメイヨシノよりずっと濃いピンク色だ。5年くらい前に私のクライアントの日本人から3本の苗木をいただいた。

植える場所が良くなかったのか、すくすく育ったのは1本だけ、あとは元気がなく、枯れてしまった。一昨年、掘り起こして日当りがいい場所に植え替えたが、その時、なぜか枯れた木が1本増えていた。その後、水を定期的に与えるようになったら見事に生き返った。1本自然増した分、今年は4本がきれいな桜の花を咲かせた。

ロサンゼルスの日系敬老介護ホームに母が入所して半年近くが経つ。今では週に5日、ほんの15分程顔を出し、洗濯物を持ち帰る。勿論、頼めばやってくれるのだが、管理が行き届かなく、紛失や行方不明になる。セーターなどは縮んだりするので任せられない。
この日系敬老介護ホームには250名以上の老人が入居している。設備も行き届き、約、150台分の駐車場もある。

看護婦、ソーシャルワーカー、介護士は日系とフィリピン人が多い。キッチンやハウスキーピングはメキシコや中南米のヒスパニックが多い。医師は日系が定期的に巡回するようだ。

先日、母の部屋替えがあり、3階から2階の通路から別の棟になり、食堂の場所も変わった。食堂で母の隣で食事していた日本語を話す97歳のおばあさんが元気なのには驚いた。頭もしっかりしていて、母の話し相手になってくれればいいなと思った。彼女は102歳のお姉さんと、この敬老介護ホームに入っているそうだ。母の事をよろしくとお願いした。

その数日後、食堂にそのおばあさんがいたので話そうと思ったら、私の事を覚えていないようだった。あれだけしっかりと話が出来るので安心していたのだが、どうも症状に波があるらしい。

母に「友達にここに入居した事を教えようか?」と言うと、「知らせないで」と言う。あまり人と会いたくも接したくもないようだ。
あれだけ社交的で、車であちこちに出かけ、旅行だって私以上に、世界各地に行ったのに。1963年以来、日本には4、5回ほど訪問しているが、もう祖国の土を踏む事はないだろう。

車イスも自分で操作する練習をしなさいと何度も言うが、やる気がない。好きだった読書も、「何か本か雑誌を持ってこようか?」と伝えても、「いらない」と最近は物事に関心を示さない。たまに中庭で話そうとするが、あまり反応がない。認知症ではないが、耳が遠く、調子がいい時は少し話すが、ほとんど無口。

今も週に5日、ほんの15分程だが、母の洗濯物を取りにいく。母がここに入所する前は、母の顔をじっくり見る事はなかったが、今は寝顔や食事をしている姿が瞼に焼き付けられる。

本来、今頃は日本で生活をしている筈だったが、母の介護が長引き、予定が大幅に狂った。だが、いろいろと諸事情が重なって、なかなか思い切った行動に移れない。

私は子供の時から何でも自分で考え、自分がやりたいように行動してきた。子供の時から自立していたのだ。小学5年生から中学1年生まで日系新聞の羅府新報や20年前に廃刊した加州毎日を毎日200部ほど配達していた。自転車をこぎながら2、30メートル先の入り口に、コントロールよく投げ込むのだ。

その後、土曜日は当時庭師をやっていた父の仕事を手伝い、夏休みは土方も経験した。中学一年生から高校2年生まで母が経営していた洗濯屋を学校が終わったら手伝っていた。

一番、忙しかった時代はこの頃で、洗濯屋の近くに住む吉田さんが日系の日本語劇団を立ち上げたが、メンバーが足りないということで私と兄が参加する事になった。週に3日、夜7時から10時半ぐらいまでリトル東京の西本願寺で稽古した。そして、自宅まで送ってもらい、宿題をして寝るのはいつも午前1時過ぎだった。そして、朝7時前に起きて、バスで中学校に通って、中学校から洗濯屋に通う毎日だった。
14、5歳だったが、「父帰る」と「赤い陣羽織」公演は大入り満員だった。そして、サンフランシスコの仏教会の主催でサンフランシスコまで行った。
この経験が後に役者を目指すきっかけを作ったのかもしれない。

高校生になり、16歳で免許証を取得してからは、洗濯の仕事が一段落したら配達をするようになった。母は日本で免許証を取得したのに、ペーパードライバーで運転能力がなかったからだ。

何か書きたい事が山のようにあるが、勢いで書いているのでどうもまとまらない。読む人は肩の力を抜いて、気軽に私の「アメリカに住む」おっさんのつぶやきを楽しんで下さい。

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